国名 | マグザム共和国 |
国旗 | ![]() |
首都 | NEXUS(ネクサス) |
人口 | 77746000人(1085年2月) 114026000人(1109年12月) |
民族 | マグザミアン 96.976% ジャスバリアン 1.863% ベルーシアン 1.186% オルレラニアン 0.398% 観光客 3.523%(1085年2月) マグザミアン 90.634% ジャスバリアン 3.440% ベルーシアン 0.789% オルレラニアン 0.350% 観光客 4.787%(1109年12月) |
元首 | リオ・ミュウオ大統領 |
通貨 | Lu |
メルキド暦0976年06月 | マグザム共和国建国 |
メルキド暦0986年06月 | 繁栄賞を受賞 |
メルキド暦0993年06月 | 災難賞を受賞 |
メルキド暦0998年05月 | 超繁栄賞を受賞 人口1000万突破(21年11ヶ月) |
メルキド暦1013年02月 | 国内に首都完成 |
メルキド暦1015年10月 | 津波被害発生、マグザムサッカー代表本拠地消失 |
メルキド暦1018年05月 | オルレラン聖教連合崩壊、オルレラン危機の事実上の終焉 |
メルキド暦1020年03月 | 津波被害発生 被災者293000人 |
メルキド暦1021年06月 | 国内初のバイオテロ発生 被害者753000人以上 |
メルキド暦1024年06月 | 国内初の百万都市が(5,11)地区に誕生 マグザム共和国の長期ロードマップを発表 |
メルキド暦1026年11月 | 国内でのミサイル実験が失敗し、(8, 10)地点を中心とした4地点が爆撃の被害を受ける |
メルキド暦1027年01月 | 国内二度目のバイオテロ発生 被害者87万人強 |
メルキド暦1028年06月 | 北部気象大学の(7,2)地区に衛星発射のためのロケットを建設。 |
メルキド暦1028年09月 | 人口2000万突破(30年4ヶ月) |
メルキド暦1028年10月 | 首都名をNEXUS(ネクサス)に変更 |
メルキド暦1031年02月 | 国内初の国産衛星『気象衛星Endeavour(エンデバー)』の打ち上げに成功 |
メルキド暦1031年03月 | 『気象衛星Endeavour(エンデバー)2号』も発射、1号とドッキング |
メルキド暦1031年04月 | 赤道上に衛星発射のためのロケット増設。 |
メルキド暦1038年07月 | 第3代目大統領 リモ・ミュウオ 当選 |
メルキド暦1040年08月 | 人口3000万突破(11年11ヶ月) |
メルキド暦1050年08月 | 人口4000万突破(10年) |
メルキド暦1051年09月 | 国内3度目のバイオテロ 発生前 40,859,000人 発生後 39,863,000人 |
メルキド暦1051年09月 | 国内4度目のバイオテロ 発生前 40,158,000人 発生後 38,733,000人 |
メルキド暦1059年07月 | 人口5000万突破(8年11ヶ月) |
メルキド暦1063年02月 | 首都完成半世紀祭が開催される |
メルキド暦1063年05月 | 第4代目大統領 リモ・ミュウオJr 当選 |
メルキド暦1063年07月 | 第4代目大統領 リモ・ミュウオJr 就任 大統領の意向でコスト削減のため国主名には共和国政府と記名 以後の大統領名は予想欄1に記載することへ |
メルキド暦1066年07月 | 人口6000万突破(7年) |
メルキド暦1072年12月 | 人口7000万突破(6年5ヶ月) |
メルキド暦1073年12月 | 国内失業者難民発生 マグザム共和国から神聖マクロネシア帝国へ仕事を求める103000人の移民が発生。 |
メルキド暦1074年05月 | 国内の輝ける都市が50地区達成 |
メルキド暦1077年05月 | ベルーサ社会主義共和国から失業者移民到着 ベルーサ社会主義共和国からマグザム共和国へ仕事を求める1497000人の移民が到着 |
メルキド暦1078年10月 | (16, 18)地区にあった89万人規模の海アミュ解体 |
メルキド暦1081年09月 | (7, 7)地点に巨大隕石が落下!! (6, 9)の養殖場は一瞬にして荒地と化しました。 (7, 9)のニュータウンは一瞬にして荒地と化しました。 (8, 9)の防災型食物研究所は一瞬にして荒地と化しました。 (8, 8)のニュータウンは一瞬にして荒地と化しました。 (7, 8)の光石は水没しました。 (8, 7)の農場は水没しました。 (7, 7)の防災都市は水没しました。 |
メルキド暦1082年03月 | マグザム共和国からシュピネ合衆国へ仕事を求める0000人の移民が発生。 |
メルキド暦1082年04月 | マグザム共和国からセヌゥルトゥス王国へ仕事を求める1178000人の移民が発生。 |
メルキド暦1083年01月 | 国内5度目のバイオテロ 2.367%の人口減 前月比-2664pts.-1840000人 MBIがベルーシアン居住区を封鎖。 |
メルキド暦1084年02月 | 国内6度目のバイオテロ 2.272%の人口減 前月比-2586pts.-1762000人 国内でベルーシアンへの迫害運動が活発化 |
メルキド暦1085年02月 | マグザム政府がベルーシアンの住居分離政策を発表。 (6,10)地区を中心としたバーベルト郡を制定 |
メルキド暦1085年10月 | 人口8000万突破(12年10ヶ月) |
メルキド暦1088年05月 | 共和国政府はバーベルト郡の行政区分を自治州への格上げと行政区域の拡大を検討中であることを発表 |
メルキド暦1088年08月 | バーベルト郡の行政区分を自治州への格上げ、行政区域の拡大を正式発表。 バーベルト郡はバーベルト自治州となる。 |
メルキド暦1090年12月 | 人口9000万突破(5年2ヶ月) |
メルキド暦1095年10月 | ジャスバル社会主義共和国から失業者移民到着 ジャスバル社会主義共和国からマグザム共和国へ仕事を求める1870000人の移民が到着 |
メルキド暦1095年11月 | 人口一億人突破(4年11ヶ月) |
メルキド暦1100年10月 | ジャスバル社会主義共和国から失業者移民到着 ジャスバル社会主義共和国からマグザム共和国へ仕事を求める435000人の移民が到着 |
メルキド暦1102年10月 | ジャスバル社会主義共和国から失業者移民到着 ジャスバル社会主義共和国からマグザム共和国へ仕事を求める394000人の移民が到着 |
メルキド暦1104年04月 | 第5代目大統領 マグジット・タズ 当選 |
メルキド暦1104年06月 | 第5代目大統領 マグジット・タズ 就任 追撃衛星『breaker3号』の打ち上げに成功。1号と2号は打ち上げに失敗。 |
メルキド暦1106年09月 | 人口1億1000万突破(10年10ヶ月) |
メルキド暦1107年06月 | ジャスバル社会主義共和国から失業者移民到着 ジャスバル社会主義共和国からマグザム共和国へ仕事を求める1224000人の移民が到着 |
メルキド暦1109年12月 | 自治州制度1115年1月に廃止を発表 新・マグザム共和国ロードマップを発表 |
メルキド暦1115年01月 | 自治州制度廃止 |
メルキド暦1117年01月 | 人口1億2000万突破(10年4ヶ月) |
メルキド暦1123年02月 | 人口1億3000万突破(6年1ヶ月) |
メルキド暦1135年08月 | 人口1億4000万突破(12年6ヶ月) |
メルキド暦1143年01月 | 人口1億5000万突破(7年4ヶ月) |
メルキド暦1148年10月 | 人口1億6000万突破(5年9ヶ月) |
メルキド暦1155年05月 | 人口1億7000万突破(7年5ヶ月) |
メルキド暦1162年04月 | 人口1億8000万突破(6年11ヶ月) |
メルキド暦1200年04月 | 人口1億9000万突破(3度目) |
-アウ・ロウフ(アオ・ロウフ)
就任期間 0976年06月-1003年02月
マグザム共和国の建国の父と呼ばれる初代大統領。国内のインフラ整備にはいくらでも惜しまない政策を実施。国民からの信頼も厚く、面倒見のよい人柄。機能的な首都建設の土台完成直前に巨大隕石が落下する。
主な功績
セプテントリオ特別州の設立
-アウ・ロウフJr
就任期間 1003年03月-1038年06月
就任時の言葉 繁栄賞授与から200ターン、新しい世代による新たなマグザス共和国の始まりです。
アウ・ロウフ大統領の長男で2代目大統領。
主な功績
父である初代大統領の意志を継ぎ首都圏に巨大隕石が襲来したマグザム共和国に機能的な首都を築く
南部地域への開発(後のマグザム躍進の土台を作り上げる)
気象衛星・観測衛星の打ち上げ
-リオ・ミュウオ
就任期間 1038年07月-1063年06月
就任時の言葉 Yes , We Can!
MBCの代表取締役を経て3代目大統領に就任。
マグザム共和国の潜在的な国力増強による持続的躍進を訴え、同国初のマイナス成長も辞さないカリスマ性を発揮した。
主な功績
輝ける都市の増産
食物研究場の増強
-リオ・ミュウオJr
就任期間 1063年07月-1104年05月
就任時の言葉 更なる躍進のためには、革新に恐れない勇気が必要である。その準備は皆さんにできているか?
リオ・ミュウオ大統領の長男で4代目大統領。
若干34歳にしてマグザス国営通信編集局長という役職についており、その敏腕さはMBC内では定評がある。
しかし、あまりにも巨大な父の背中を我武者羅に追いかけての結果であり、かなりの熱血家
マグザム共和国の激動の時代に父の姿を見て育ち、その教えを受けた。
主な功績
ベルーサ社会主義共和国-マグザム共和国間のホットライン設立
-マグジット・タズ
就任期間 1104年06月-
就任時の言葉 アウ家の時代が黎明期であり、リモ家の時代が成長期とするならば、これからわれわれが待ち構える時代は、マグザム共和国の成熟期である。それは真の大国への成長期でもある。
これまでの枠組みに取られることなく、世界の大国としてのマグザム共和国をわれわれの手で築き上げていきましょう。
大統領就任前、マグザム共和国の国防長官に就任していた経緯を持つ、5代目大統領。
その発言、行動はこれまでの形にとらわれない奇抜なものであり、革命的である。特に若者から中年にかけた層から絶大な支持を得ている。
メルキド暦1077年05月にマグザム共和国の各地(そのほとんどが海底都市や国土の端の都市)へ移民してきたベルーシアンを メルキド暦1085年02月の政府の住居分離政策によって強制的に(6,10)地区を中心するバーベルト郡として制定される。 住居分離政策がなられた背景には、ベルーシアンの移民後に発生した2度も発生したバイオテロによる 国内各地でのベルーシアン迫害運動が発端となっており、ベルーシアンの保護を一環として行われた。メルキド暦1088年8月に行政区分を格上げし、ベーベルト自治州となる。これにあわせて行政区域が拡大され、(10,7)地区と(10,11)地区を縦に結んだ線より以西の半島すべてがベーベルト自治州に属することとなった。
マグザム共和国の主要1次産業は、セプテントリオ特別州に集中しており、牛の畜産産業が盛んである。過去には食物研究所が畜産を抜いて、国内の主要1次産業であったが、巨大隕石の落下を受け、現在は(13,0)地区の国内最古の食物研究所のみである。
現在は、国内の輝ける都市化が進んでおり、職場と住居の分離が進んでいる。
そのほかの主要な産業は、セプテントリオ特別州の東海岸にある海あみゅや海外旅行者向けのリゾート地である。
この章ではマグザム共和国内で発生した、ベルーシアン迫害問題について取り上げる。
この問題に端を発したのは、いうまでもなく1083年1月と1084年2月に発生した遺伝子組み換え食物による被害である。
ではなぜ、この問題がベルーシアンへの迫害につながったのかその背景について触れていく。
マグザム共和国には、過去3つの食物研究所が存在した、しかし現存する食物研究所は、国内最古の(13,0)地区食物研究所である。ほかの2つは、メルキド暦1081年09月の(7, 7)地点への巨大隕石が落下で崩壊している。
すなわち、この2度の伝子組み換え食物による被害は、(13,0)地区食物研究所より発生したこととなる。
ちなみに、同研究所は1021年06月と1027年01月のバイオテロの舞台となった場所であるがそれ以降半世紀以上にわたって発生はしていない。
=====[ ターン12922 ]=============================メルキド暦 1077年 11月 秋
負荷計測 CPU(0.421875) : user(0.4140625) system(0.0078125)
ジャスバル社会主義共和国の遺伝子組換え食物に副作用があったようです!!
=====[ ターン12928 ]=============================メルキド暦 1078年 5月 春
負荷計測 CPU(0.421875) : user(0.4140625) system(0.0078125)
ジャスバル社会主義共和国の遺伝子組換え食物に副作用があったようです!!
=====[ ターン12931 ]=============================メルキド暦 1078年 8月 夏
負荷計測 CPU(0.421875) : user(0.40625) system(0.015625)
ベルーサ社会主義共和国の遺伝子組換え食物に副作用があったようです!!
ベルーシアン移民に対する国民感情が頂点に達したのが、今回のバイオテロでありそれ以前より蓄積されていたとも言うべきが、ベルーシアン移民入国後の国内情勢である。
ベルーシアン移民発生により、これは国が進める居住区の高密度化の一環である輝ける都市計画の足かせとなっていた(13,19)地区の海あみゅの廃止計画の遅延が発生した上に急激な格付けpts.の上昇は総事業費の膨張とつながったこと。
993年06月以来、ほぼ1世紀ぶりとなる1081年09月の(7, 7)地点に巨大隕石が落下。それに伴う、大量の失業者と後の失業移民の発生したこと。
ベルーシアン移民後、1050年以来の高度経済成長(特にベルーシアン移民入国直前の70-75にかけての成長は、過去最高の13,225pts.増を記録していた)が急速に低迷したこと。
これらのことにより、国内では反ベルーシアン移民を唱える人々が増加し、ベルーシアン移民こそがマグザム共和国へ元凶をもたらしたという風潮が出回った。
崩壊したほかの食物研究所の項でも触れたとおり、(13,0)地区食物研究所では1027年1月より、遺伝子組換え食物による被害は報告されていない。発生当時の規模は440万人であり、半世紀以上にわたって発生していない同研究所において1年1ヶ月の間に2度も発生するのはまことに不可解な状況である。
奇しくもこの数年前に社会主義圏で遺伝子組換え食物による被害が相次いでいたこと、同じ社会主義圏からのベルーシアン移民が同研究所で多数働いていたことが国内の反ベルーシアン移民感情をさらに高ぶらせる結果となったといえよう。
その後、マグザム共和国では、ベルーシアン移民への迫害が見られるようになり、ベルーシアンの保護を一環として、マグザム政府によるベルーシアンの住居分離政策を発表。(6,10)地区を中心としたバーベルト郡を制定へとつながった。