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=国内=
・建国100周年
メルキド暦837年11月、タヂカラオ国は建国100周年を迎え、首都サン・ボルカノにおいて記念式典が盛大に挙行された。ウィンディ・R・シャーマン大統領は式典における挨拶で、ここまでの国の発展について先人達の努力を称えるとともに、国民、諸外国そして精霊に感謝の意を示し、祈りを捧げた。シャーマン大統領は十二氏族の中でも特に祭祀を司ってきたラキ氏族の出身。時々間違えられるが男性である。
・政府指針
建国100周年の節目を向かえ、タヂカラオ政府は今後の開発指針を示した。
(1)基本方針としてこれまで通り居住区画の発展と整備、具体的には誘致活動と現代都市区画の拡張を続ける。また、安全保障概略に沿い国防軍の技術レベルを引き続き向上させる。
(2)雇用対策の一環として海上巨大アミューズメント「海あみゅ」の建造計画が進められる。タヂカラオ国民は伝統的にこの種の娯楽施設をあまり利用しないが、各国からの移民、入植者、観光客の存在を考慮したものと考えられる。ハイテク多国籍企業の誘致も用地確保のうえで続けられる。
(3)食料生産には近年完成した大規模牧畜施設を主力とする。多くの先進諸国では食物研究施設を採用しているが、タヂカラオ国においては建国初期に遺伝子組み換え作物が二度にわたって不良事故を引き起こしたため、その採用を無期限停止している。また、養殖場の運営も実験的に行われている。
(4)100周年記念事業としてサッカーチームの育成と多目的スタジアムの建造が進められる。スタジアムについては用地の選定中である。
また、国家の政治体制についての概要が示された。政府の研究チームは諸外国の政治体制の研究の結果グダニスク式民主主義を参考とし、三権分立のなった民主主義体制を確立させると発表した。10年以内に初の大統領選挙を目指す。初代大統領は政府を立ち上げ、二代目は閣僚内の推薦によって、三代目は先代の指名によってその職についたが四代目は選挙によって選ばれることとなるのだろうか。
・デラルーシ移民問題
メルキド暦835年、新興国家デラルーシ共和国より二度にわたって大量の失業難民が移民し、その数は実に400万人に上った。この数はタヂカラオ国総人口の十数%にのぼり、移民管理局はほぼ一年間にわたって人員を増加しての激務に追われることとなった。なお大量の移民の誘導、仮設住宅の建設には国防軍も出動している。タヂカラオ国は基本的に移民の受け入れに寛容であり、「関所」も設置していない。建国初期からも主にセヌゥルトゥス王国からの移民を受け入れている。デラルーシ共和国はジャスバル帝国との経済協力によって急速に成長を遂げたが、職場の整備が追いつかず各国に大量の移民を送り出す形となっていた。一連のバッカーニア危機(現箱wikiより引用)の流れの中で、デラルーシ共和国はバッカーニア王国の無計画開発による貧困を非難したが、自国の状況を省みない発言と言え、国内におけるデラルーシ共和国への不信感を高める要因のひとつとなっている。
メルキド暦837年11月10日発行
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