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=国内=
・第6代大統領にジェイムズ・D・リー氏当選
メルキド暦1091年2月に行われた大統領選挙において、対抗馬の2名を下しジェイムズ・D・リー氏が当選を果たした。氏はボルカノ共和党の正式な党員であり元ファースティア市長。若干停滞気味の国内経済の活性化を公約に掲げていた。議会の最大多数派は相変わらずタヂカラオ民主政策会であり、混迷の度を増す世界の中で大統領の舵取りが注目される。なお、リー氏はディン氏族を名乗るが移民系の血を強くひいており、公式の場で「私は血統をそれほど気にしない」と発言して一部物議を醸したこともある。
・国内人口の大幅な増加と国内経済
ジャスバル社会主義共和国からの移民の影響等もあり、近年タヂカラオ国の人口が1億人を突破した。国内外の市場の巨大化によってタヂカラオ国も中堅国家の域を脱しつつあるといえる。タヂカラオ国は基本的に農業国家(より正確に言えば牧畜国家)の体質を維持し続けており、遺伝子組み換え無しのブランドがあるとは言え、産業の多分野化には未だ立ち遅れの感が否めない。経済面においては一層の努力が必要となることだろう。
=国外=
・ジャスバル社会主義共和国の混乱
近年、ジャスバル社会主義共和国(以下ジャスバル)において内政が停止している兆候が見られる。特に災害によって崩壊した農場の修復が行われないことは重大な問題となっており、ここ10年前後に渡ってジャスバル国内の失業率は2桁のプラスを維持。世界各国に莫大な量の難民を送りだす結果となった。
-以下に簡易な移民記録を記載する。なおwikiの編集者にはこの場を借りてお礼申しあげる。-
メルキド暦 1089年 11月 秋 成瀬共和国163000人
メルキド暦 1090年 10月 秋 ベルーサ社会主義共和国 3798000人
メルキド暦 1091年 06月 春 タヂカラオ国 3823000人
メルキド暦 1091年 12月 秋 シュピネ合衆国 0000人
メルキド暦 1092年 02月 冬 ガイア帝国 251000人
メルキド暦 1092年 03月 冬 ガイア帝国 142000人
メルキド暦 1092年 05月 春 神聖マウロ帝国 171000人
メルキド暦 1092年 07月 夏 成瀬共和国 122000人
メルキド暦 1092年 12月 秋 ベルーサ社会主義共和国 3723000人
メルキド暦 1093年 01月 冬 グダニスク連邦自由国 280000人
メルキド暦 1093年 02月 冬 神聖マウロ帝国 6000人
メルキド暦 1094年 08月 夏 シュピネ合衆国 179000人
メルキド暦 1095年 05月 春 タヂカラオ国 2905000人
このように、まさに世界各国にジャスバルの国民が流出している状態である。ジャスバルにおいては経済政策優先のためか施設の災害対策が無策に等しくそのことが今回のような結果を招いたといえる。災害対策の一環として失業率に大きなマージンを持つタヂカラオ国には当然のごとく巨大な難民が流れ込みその数は550万人を超えると見積もられている。
・マグザム共和国においてタヂカラオ国がジャスバル系移民への大量虐殺を行ったとの報道
近年発行された マグザス国営通信 第39号に以下のような記事が掲載された
〜以下引用〜
・タヂカラオ共和国
人口の高密度化が図られている同国に移民が簡単に住める安住の地は少ない、ただひとつの地域を除けば。彼らが選んだ道とは同国の南東に存在する射撃演習場である
=====[ ターン13085 ]=============================メルキド暦 1091年 6月 春
負荷計測 CPU(0.421875) : user(0.3984375) system(0.0234375)
ジャスバル社会主義共和国からタヂカラオ国へ仕事を求める3823000人の移民が到着しました。タヂカラオ国は快く受け入れたようです。
3823000人という大量のジャスバル系移民が同国に押し寄せ、同国は初めて人口1億人を突破した。ただしここへ移り住んできた移民たちはメルキド暦 1095年 3月に行われた、同国のミサイル発射によって虐殺された。
大虐殺が行われた2ヵ月後、同国には2905000人のジャスバル系移民が再び同地区に移住してきている。今後のタヂカラオ政府の動向に注目したい。
〜引用ここまで〜
この記事の他にもマグザム共和国政府は「タヂカラオ国のジャスバル系移民への大量虐殺を非難」との声明を発表している。この状況を鑑みタヂカラオ政府は緊急に記者会見を開き公式声明を発表した。以下主文を抜粋する。
「今回のマグザス国営通信の発表は誤解と偏見に基づいたものと言わざるを得ず、事実とは全く異っている。再びこのような報道がなされたことは残念としか言いようが無い。ジャスバル社会主義共和国からの難民に対し無料で供与された仮設住宅地の一部が射撃演習場に設営されたことは事実だが、この設営はほぼ1ヶ月間で終了し、その15ヶ月後すなわちメルキド暦1093年10月には仮設住宅地から本島への難民の移住が完了している。我が国は建国当初よりセヌゥルトゥス王国より難民を受け入れ、旧デラルーシ共和国からの難民受け入れを経て高度なノウハウの蓄積があり、これら一連の作業は速やかにかつ完璧に行われた。我が国は火災の危険度が高い仮設住宅地に移民を定住させておくほど無慈悲では無いし無策でも無い。」
外務局は、マグザム共和国が根も葉も無い虐殺報道を煽り、タヂカラオ国の印象操作を図るがごとき行動をとったとして正式に外交ルートを通じて抗議を行った。しかし、過去に見られたように意見の撤回が行われる可能性は極めて低く、国民の大多数には怒りを通り越して諦めの念が漂っている。外務局担当官は「引き続き交渉を行いたい」とコメントしている。以下関連記事。
・民間専門家の評価
サン・ボルカノ総合大学(私立)教授であり政治学博士のウィックス・J・ハイマン博士に行ったインタビューを掲載する。
「今回の件に関してタヂカラオ政府と軍は完全に予測済みであったことでしょう。このぐらいのことは、うちの学生だって想像できる。かの国の指導者は初代と2代目、3代目と4代目が親子です。共和国を謳ってはいるが閥族主義的。加えて通信社は国営化されており、新聞社は国民を楽しませる道具という訳です。ギリギリの失業率を維持しても経済発展を謳い、難民が迫害されても労働力は国外には逃がさない。「格付けpts」という言葉がしばしば新聞に登場することにお気づきでしょうか。国民を鼓舞していることは誰にでも分かります。さらに国民を団結させるのがタヂカラオ国という「軍拡を続ける危険な敵」である訳です。一致団結のための最も古典的な手段ですね。対外報道は客観的とも見えなますが国民にどれだけの事実が伝わっているのかも怪しい。今後も動向には注意が必要でしょう。」
・マキシム元大佐、抗議する
タヂカラオ海軍護衛艦隊に所属するバーナード・F・マキシム元大佐が今回の件を受けて辞任の上、抗議活動を展開している。マキシム氏によれば「難民を弾圧した上に隔離政策をとるような国に言いがかりをつけられて、政府は何故黙っているのか。弱腰にもほどがある」とのこと。統合参謀本部の関係者は「ことあるごとに有望な士官がいなくなってはかなわない。もう少し自重してほしい」とコメントしている。
メルキド暦1095年10月24日発行
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