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Y.B.C.NEWS 第31号
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目次
・ガルバディア帝国連邦の再興
・ユークトバニアの復興と社会主義
・連載小説「無題」第1回
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◇ ガルバディア帝国連邦の復興
言わずと知れた集権帝国主義国家連合であるガルバディア帝国連邦の本国である神聖ガルバディア帝国が、長らくの内政混乱の終息によって、再び総統職に復帰する。
長らくの停滞によって、最貧国と化した本国であるが、帝国の復興に望みをもつ多数の国の資本と、国民の士気の高さが合わさることによって、復興はそれほど長期にわた
るものにはならないであろう。
一方、帝国連邦が抱える外交問題は山積している。
第一に、本国が国際社会復帰後早々に主張した亜細亜問題である。リードホルム共和国政府は、マウロ総統下での帝国連邦からの独立、リードホルムへの併合をもって領土
保持の正当性を主張した。本国から預かった総統職を、ヴォルフィードがマウロに権威移譲し、そのマウロが亜細亜の統治権を放棄したことが根拠である。当時、マウロが帝
国連邦の最高指導国であった以上、この独立併合は当然擁護されるべきものであろう。
このマウロ時代の帝国連邦が、現在復活した帝国連邦とまったく同じものであるかも定かではない。
マウロは本国の復帰に伴う混乱を恐れてか、9月25日に帝国連邦組織の解体を正式に宣言したため、この時点で初代帝国連邦は崩壊したと解釈できる。最高権力国であるマウ
ロが、総統職を本国に返還しなかった以上、本国とヴォルフィードによる現在の帝国連邦は、新生帝国連邦なのかもしれない。
この新帝国連邦が、マウロによって潰えた帝国連邦の抱えていた問題をどこまで自己のものとして処理を断行するのか、今後の動きに注目する必要があるだろう。
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◇ ユークトバニアの復興と社会主義
上の記事におなじく、慢性的な領土問題を抱えることとなったユークトバニア連邦共和国も、戦後復興におわれる旧大国のひとつである。
その復興速度は凄まじく、グダニスクの国立銀行総裁が驚きの声をもらすほどだ。ユークは、復興費のほとんどを国内資本によって賄ったが、その基盤を作るうえでは、マ
ウロ帝国からの経済支援が大きな役割をはたした。
ユーク内戦中、主に社会主義体制側を支持し支援したのはこのようなマウロをはじめとした君主制国家であった。本来、社会主義と相容れないはずの君主国に対して支援を
要請したユークの行動から、当時の社会主義中央政府の苦しい状況を垣間見ることが出来よう。ユークのこうした行動はいまにはじまったことではなく、一度は統治下におい
たコンティス王国を無条件開放し、その後友好関係を構築しようとしたことや、前大戦におけるガルバディアとの連合も、こうしたことの前例であった。
マウロに対しては、帝国であるにもかかわらず社会主義側に支援したことについて、一部国家が批判の声をあげていたが、裏を返せばこれはユークに対しての批判でもあろ
う。ユーク中央政府は「我々は社会主義を推進する立場であるが、だからといって同時に違社会主義国を拒絶したり、圧力を加えることにつながるのではない」との見解を示
している。反社会主義でない限り、社会主義でないから敵となるわけではないということである。
ガルバディア帝国連邦には、社会主義国との国交を持つことを制限する法律が存在し、すなわち反社会主義ということができるが、マウロ総統下での帝国連邦では、そのよ
うな風潮はまったくなく、先日復活した本国を中心とした場合にのみ反社会主義は適用されるのであろう。
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◇ 連載小説「無題」第1回
あれは私が10歳のころだから、今から15年前の話になる。当時はまだこの国が連邦の一地域としてではなく、独立国として存在していた。社会は繁栄を謳歌していた頃で、
「我こそは自由主義のリーダー」という風潮がまかり通りだした時には、世界屈指の経済規模を誇っていたらしい。そんなことも、田舎町に育った10歳の私にはほとんど関係
がなくて、もっぱらの関心ごとは、贔屓にしていたサッカーチームのリーグ成績くらいのものだった。
私の住んでいた家は小さな池に面していた。小さいが渡り鳥もやってくるこの池は、季節ごとにみせる表情も様々なもので、自然だとかに興味を示さない同年代の子供と同
じ感覚であった私でも、純粋に美しいと思える時が多々あるほどだ。家自体は小さな木造の一階建てだったが、小さな屋根裏部屋があったので、そこを自分の部屋としてつか
っていた。父と母、それに姉がいたけれど、姉はとうに社会人になっていて、田舎からは遠く離れた首都グダニスクシティで働いているらしかった。ファションデザイナーに
なると豪語して家を飛び出していったことは鮮明に覚えていたが、あの姉のことだ。月に二通ほど届く手紙には自分のデザイナーとしての大活躍が、それはもう盛大に羅列し
てあるが、どこまで本当なのか実に疑わしい。「あの子は本当にむこうでやっていけてるのかしら・・・」が母の口癖になった頃には、私は一人っ子状態になっていて、父と
母は姉がいた頃以上に、愛情を注いでくれていたと思う。そんな時だった。あの戦争がはじまったのは。
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製作-Yuktobanian Broadcasting Corporation
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Yuktobanian Broadcasting Corporation(Y.B.C.)は、
ユークトバニア連邦共和国に本社をもつ民間の国際報道誌です。
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