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【1910】ヴァストーク地方の解放について
 ナシバロン政府  - 06/10/30(月) 22:02 -

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   ナシバロン人民共和国ヴァストーク地方(東グルゴニア地方)の解放についての発表を行う。

ナシバロン政府は「ドルチョプ派運動」と名乗る反政府組織に対しヴァストーク人民解放戦争を展開し、以後、長い間にわたりヴァストーク地方の治安・情勢不安定のためにナシバロン領として当地方を併合してきた。
しかし、数ヶ月前に行われたUYS軍とイブラヒム・レヴィンを中心とした反政府組織との戦争後、ナシバロン政府は治安回復活動を強化したことにより、ヴァストーク地方は政情が落ち着きを取り戻し治安も安定してきた。
そのため、ナシバロン政府はヴァストーク地方に政府を設置しても問題がない治安レベルであると判断したため、ヴァストーク地方に政府の設置を行い、ヴァストークの解放を行うこととした。

【独立までの行程などについて】
ヴァストーク地方は11月1日0時より、ナシバロン人民共和国より独立し、ユークトバニア社会主義連邦ヴァストーク特別行政区として扱われる。この時点でナシバロン政府内に設置されていたヴァストーク管理庁は解体され、ナシバロン軍もヴァストーク地方から完全撤退となり、ナシバロン政府が直接ヴァストーク地方の内政の管理などを行うことはできないものとする。
その後、UYS政府によってヴァストーク新政府の設立を行い、新政府によるヴァストーク地方の統治の準備を行っていく。
ヴァストーク新政府についてはUYSの掲げる「人民民主主義」に基づき、グルガン民族を中心とした政府の設立を行うものである。

その後、順調に進めば近日中にヴァストーク共和国(ユークトバニア社会主義連邦ヴァストーク地方)という地方国として解放される。


【ヴァストーク独立後について】
まず、国名についてだが、独立後のヴァストーク地方の国名はヴァストーク共和国とする。

ヴァストーク地方でこれまであった戦争などの物事について考えると、まだヴェルーサ地方やナシバロン地方と同等の権限をユークトバニア社会主義連邦内で手にさせることはできない。当面は地方国ではあるけれども、連邦内の他地方とまったく同じ権限を持たせることはない。
だがヴァストーク地方の政府としてヴァストーク内の国政に関する権限(行政権、外交権など)のほとんどは新政府に掌握させるものとする。
また、ヴァストーク地方でこれまで制限されていた、宗教活動などもUYSの憲法に基づき自由とされる。また軍の保持についても当然可能になる。
開発に関しても当然、完全にヴァストーク新政府の自由となり、ほとんどの場でヴァストーク新政府が自由な行動を取ることが可能だ。


これから世界の中の1国としての地位を回復するヴァストーク地方を、世界各国には暖かい目で見てもらいたい。


ナシバロン人民共和国(ユークトバニア社会主義連邦ナシバロン地方)
首相:オーグス・レーン
ヴァストーク管理庁長官:ニミル・フレッド
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【1910】ヴァストーク地方の解放について ナシバロン政府 06/10/30(月) 22:02 [未読]
【1911】領土問題について ナシバロン政府 06/10/30(月) 22:25 [未読]
【1913】Re:領土問題について 帝國聯邦行政府 06/10/31(火) 5:49 [未読]
【1914】Re:領土問題について 帝國聯邦行政府 06/10/31(火) 8:12 [未読]
【1919】Re:ヴァストーク地方の解放について ヴァストーク復興委員会 06/11/6(月) 15:57 [未読]
【1955】ヴァストーク正式政府発足について ナシバロン政府 06/11/30(木) 16:47 [未読]
【1957】ヴァストーク共和国発足 ナシバロン政府 06/12/1(金) 0:10 [未読]
【1963】Re:ヴァストーク共和国発足 ヴァストーク共和国サルパトラ・サーディン大統領 06/12/1(金) 18:54 [未読]

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