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「挨拶」
タヂカラオ国建国とほぼ同時に設立された我がサ・フェ通信社は、未だ出版というものになじみの薄かった国内において情報の発信に努めてまいりましたが、このほど国外向け通信業務を開始することとなりました。サ・フェ(南風)の吹く国よりの便りをよろしくお願いいたします。
=特集= タヂカラオとは(1)
・成り立ち
タヂカラオ国はボルカノ島の居住する十二の氏族連合が母体となっている。タヂカラオという名は二大有力氏族であるタヂ族とカラオ族から取られたものと言われているが、その起源については今でも諸説ある。十二氏族の形がおおよそ出来上がったのが今から800年ほど前とされ、ボルカノ暦元年(メルキド暦247年)までは氏族間の抗争が繰り返されていた。この頻発する闘争状態に終止符を打ったのが『調停者』と呼ばれるハイリア・フェムトである。彼は卓越した指導力によって500年続くこととなる氏族連合の形を創りあげた。これを記念してボルカノ暦がつくられ現在に至っている。
・建国まで
国際社会における「国家」としての承認こそなかったものの、メルキド暦300年代から外国人が訪れている記録があり、メルキド暦388年には最初の専門書とされる「タヂカラオ文化」(著者:A・マミヤ)が出版されている。国内においてもメルキド暦600年代末から国家承認取得の動きがあったが、反対派の勢力が大多数であった。また、一部の外国人研究者は「帝国主義、民主主義、社会主義の巨大なパワーバランスの中での国家成立を避けた」と主張するも、確固たる根拠はないとされている。
そのような状況の中で登場したのが現タヂカラオ大統領チャールズ・カラオ・センチュリオン氏だった。彼は十二氏族の最高意思決定機関である氏族長会議を説き伏せ、タヂカラオを国家として成立させた。このときの彼の年齢が32であり、そのカリスマ性から彼をハイリアの再来と呼ぶ人間も少なくない。
・政体
タヂカラオ政府はその首長を「大統領」としているが、センチュリオン大統領は国民の支持は非常に高いものの民主政治のよって選ばれた訳ではなく、政府のスタッフも国家準備機構の延長である。タヂカラオ国自体が十二氏族連合の延長とも言える現在、国家体制は未定と言うのが正しいかもしれない。センチュリオン大統領は就任の挨拶において「タヂカラオの民が世界に貢献するためには自由主義・民主主義が最も適切だろう」と語っている。現在の政体は氏族長会議が力を持つことや、現大統領以外に有力な指導者がいないことから貴族政とも呼べる状態になっている。これは国家黎明期の状態であるということができ、今後の動静が注目される。政府関係者としてもタヂカラオ「国民」としても今後は新たなる自覚が必要とされることだろう。
次号では「タヂカラオとは(2)」にてその文化についてお伝えします。
メルキド暦757年10月10日発行
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